中島敦「山月記」より

基本的に三島が好きな俺ですが、最も美しい文章は何かと聞かれたら
中島敦「山月記」を挙げると思います。(青空文庫で無料で読めます
三島の文章は美しいですが絢爛だからこその美しさであって、
悪く言ってしまえば修辞がうまい、という意味での美しさ。
これに対して中島敦の文章は文語体かつ無駄のない文章の中にある美しさを
感じます。

美しさの考え方は人それぞれですが、この「山月記」の中で二つほど
有用な文章を見つけたので引用しておきます。
(ここだけ引用すると説教臭くて逆に美しくないですが…)

人々は己を倨傲だ、尊大だといつた。實は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。勿論、曾ての郷黨の秀才だつた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。己(をれ)は詩によつて名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。かといつて、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによつて益々己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。


人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。

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by pastimeparadise | 2006-04-20 03:15 | 雑記


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